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顕正会浅井会長の矛盾(仮取り纏め)

記載順番はバラバラですが、浅井会長が、いかに矛盾した行動・発言をしてるかわかるとおもうので、羅列掲載。


昭和三十四年七月十九日の青年部会にて「妙信講の進軍目的は唯一つ、本門戒壇建立ということだけであります」(顕正新聞・昭和三四年八月五日)

昭和四十年七月号の『富士』には、
「いよいよ正本堂建立の御供養千載一遇の御奉公に歓喜の参加真心を尽して悔なき結晶を」と題して、

「この御供養は、宗門の歴史をつらぬく大事で、猊下を通して戒旦の大御本尊様への御奉公であり、私達の生涯に二度とはない大福運であります」(富士二三号)

さらに浅井さんは、七月二十八日の幹部大会において、
すでに広宣流布の時は来ております」 (冨士二三号)と発言している。

昭和四十年一月二十一日に正本堂建設委員会が設置され、同年二月十六日に聞かれた第一回正本堂建設委員会において日達上人は、

 大聖人より日興上人への二箇の相承に「国主此の法を立てられるば富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり」とおおせでありますが、これはその根源において、戒壇建立が目的であることを示されたもので、広宣流布達成のためへの偉大なるご遺訓であります。
これについて一般の見解では、本門寺のなかに戒壇堂を設けることであると思っているが、これは間違いであります(中略)

末法の戒律は題目の信仰が、すなわち戒を受持することであります。
よって大御本尊のおわします堂が、そのまま戒壇であります。
したがって、大本門寺建立の戒も、戒壇の御本尊は特別な戒壇堂ではなく、本堂にご安置申し上げるべきであります(中略)

したがって、その曼荼羅を現在では大石寺の本堂にご安置することが、もっともふさわしいと思うわけであります(中略)

今日では、戒壇の御本尊を正本堂に安置申し上げ、これを参拝することが正しいことになります。
ただし末法の今日、まだ謗法の人が多いので、広宣流布の暁をもって公開申し上げるのであります。
ゆえに正本堂とはいっても、おしまいしてある意義から、御開扉等の仕方はいままでと同じであります。したがって形式のうえからいっても、正本堂の中でも須弥壇は、蔵の中に安置申し上げる形になると思うのでございます(大日蓮ニ二九)
昭和四十年に正本堂について明確に述べている。



池田大作は昭和四十年年九月二十日、九州本部幹部会において、

 正本堂の建立は、事実上の本門戒壇の建立を意味いたします(中略)
猊下が、正本堂が本門戒壇の戒壇堂であると断定されたのであります(中略)
広宣流布が達成してから、国家予算によって、国立戒壇が建立されるということはありえないのです。本門戒壇の建立は、純粋で、清らかな私たちの真心の浄財によって建立されるのです。
地涌の菩薩の力によって造られるものです。
それを民衆立というのです。
ほんとうの民主主義の原理です。正本堂を建て終わって、王仏冥合へ、さらにさらに進んでいくわけなのです。十年かかるか、二十年かかるか、それはご仏智ですが、広宣流布が達成した暁に、こんどは、不開門を開くのです(聖教新聞・昭四〇・九・二二)


昭和四十年四月八日・北区公会堂に於いて浅井甚兵衛講頭発言「正本堂と一万に全力を」として講演。
下記その要旨抜粋。
☆浅井企画室長(現会長)「いよいよ意義重大なる正本堂が建立されることになりました、戒壇の大御本尊様が奉安殿よりお出まし遊ばされるのであります。」(富士・第二十四号、昭和四十年七月)また同誌六月号には「いよいよ正本堂建立の御供養、真心を尽くして悔いなき結晶を」と御供養の意義と精神が解説されている。

☆「今回、総本山において御法主上人猊下の御思召によりまして、いよいよ意義重大なる正本堂が建立される事になります。戒旦の大御本尊様が奉安殿よりお出まし遊ばされるのであります。この宗門全体の重大な慶事に、妙信講も宗門の一翼として、講中の全力を挙げ、真心を込めて猊下に御供養をさせて頂く事になりました。」(富士・第二十四号、昭和四十年七月掲載文)

☆「実に日蓮正宗の生命は大聖人出世の御本懐であらせられる戒壇の大御本尊にましすのであります。この大御本尊は大聖人様より日興上人へ御付属せられて以来、広布のときを待って、歴代の御法主上人によって巌護せられて来たのであります。今までの七百年はひたすら時を待たれて御宝蔵の奥深く秘せられてまいりました。唯そのスキマもる光を拝して、一分の宿縁深厚なる信者が許されて猊下より内拝を賜っていたのであります。」

☆「その御本尊様がいよいよ時を得て徐々に大衆の中に御出ましになる、御宝蔵より奉安殿へ、更に猊下の深い御思召により大客殿の奥深き正本堂へとお出ましになるのであります。その深い意義は凡下の我々のみだりに窺がう所に非ずとはいえ、容易ならぬ事であります。いよいよ大衆の中に人類の中にその御姿を徐々におあらわしになる。私共はこの猊下の御思召に同心し奉ってたとえ微力たりとも赤誠を奉りたい。先生は千載一遇のお山への御奉公だと申されております。全講を挙げて歓喜の御供養をさせて頂こうではありませんか」(昭和四十年五月二十五日、妙信講総幹部会・浅井「富士」二十四号・浅井企画室長の指導)


「正本堂の御供養には妙信講も参加した。今日から見れば、なぜこれに参加したのか不思議に思う人もいようが、当時はまだ誑惑が顕著ではなかった。少なくとも、管長猊下は一言も正本堂を御遺命の事の戒壇などとは云われず、もっぱら戒壇の大御本尊を安置し奉る建物であることだけを強調し、供養の誠を捧げよと、宗門の全僧侶・信徒に呼びかけておられたのである。」(昭和六十一年発行の「富士」二百七十一号・「試練と忍従」)

しかし、これは、浅井会長の後付。つまり後付言い訳でウソである。しかも日達上人は昭和四十年第一回正本堂建設委員会において以下のように御指南してます。

☆昭和四十年二月十六日・第一回正本堂建設委員会に於いて
日達上人は「委員会が開かれるにあたって、初めて私の考えを申し上げておきたい・・・大御本尊のおわします堂が、そのまま戒壇であります」とその御意が明かされている。
また宗門の見解は以下のように妙信講側と交わされている。

☆昭和四十七年、二月二十四日。宗務役僧と浅井本部長の面談、三箇条の声明を作成。
一、正本堂は三大秘法抄・一期弘法抄の御遺命の戒壇ではない。
一、正本堂は奉安殿の延長として、大御本尊を厳護し奉る殿堂である。
一、正しく御遺命の戒壇とは、一国広布の暁、国立の戒壇である。
しかし、この二者間の誓約書は実際には声明文としては公表されることはなかった。


☆昭和四十五年四月三日・本山にて達師と浅井講頭、本部長(現会長)対面所にてお目通り。
本部長の質問に対し「正本堂は最終の戒壇ではありません。・・だから”須弥檀は蔵の形にする”と説法した」と語られる、次いで妙信講の登山を八月に許可。ここで「正本堂は最終の戒壇ではありません。」と明確に否定。

☆対面所にてお目通りのあと、浅井講頭、本部長(現会長)は御開扉を受けた翌々日四月五日に面談の礼状を浅井講頭・本部長連名で送付している
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