スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
line

ガツンと破す、を破す。それを破す15

さて、この言葉を聞いた浅井は別ページで「肝に銘じて忘れず」と書いたくらいですから阿部教学部長(当時)のような文言を以下に同様の趣旨でこの言葉を流用使用していますね。

「すべては四十年二月十六日の第一回正本堂建設委員会に於ける猊下の甚深なる御説法によるものと宣伝されている。だが不思議なるかな、猊下のその時の御説法を拝見するに、一言もそのような御言葉はない。よくよく拝せば否定すらしておられる。(中略)況や猊下の仰せには全く一言も有られないのである。(正本堂に就き池田会長に糺し訴う)」


二番目の反論箇所も、当方が切り文しているという印象付けをしたいだけの中途半端な反論だった、になりそうですね。

ブリトー石橋氏の反論:3番目・「正本堂は最終の戒壇ではありません。・・だから“須弥檀(しゅみだん)は蔵の形にする”と説法した」という文章は、昭和四十五年四月三日、大石寺の対面所において、細井日達が浅井先生に対して述べた言葉です。
「正本堂は最終の戒壇ではありません。広布の時は国立戒壇で、天母山(あんもやま)に建てられるのです。だから私は正本堂について『須弥檀の形にする』と説法したのです」(「折伏理論解説書」194ページ・6行目、「正本堂の誑惑を破し…」37ページ・8~9行目)



「省略された部分には国立戒壇と天母山の文字がありました。なるほど、編集者としては書きたくなかったわけです細井日達のこの発言は、浅井先生に諫(いさ)められたから言えた“正論”です。
先生が諫めている部分は隠し、細井日達の述べた“正論”だけ見せるというのは、切り文による文意の歪曲です。細井日達のこの発言は、浅井先生に諫(いさ)められたから言えた“正論”です。」


まず、当方があえて外した理由は貴殿のこうした推測からではありません。この大石寺の対面所においての発言の箇所は、一方的な浅井の記憶に基づいているからです。そしてこの反論の出典殆どが顕正会の著作物や資料に依っています。自会の一方的な資料や独白的回想が傍証として成立いたしますかね。私の記憶ではこうだった、というのが客観資料にまた証拠になると思われているのでしたら、それは個人の信仰であって、事実とはかけ離れたモノである事を一般社会の通例として指摘しておきます。

さて貴殿指摘の「天母山(あんもやま)に建てられるのです云々」についても、浅井氏は自分に都合のいい解釈をする人でありますね。その実例は既にいままでの反論証明で十分に理解できると思いますが「ガツンと破す」の『資料お笑い編:浅井昭衛の都合の悪い妄言録、◎恒例の場当たり発言云々』でも沢山指摘してあります。それを持っても客観性を伴わない自己申告証言はナンの信憑をも伴わないことは貴殿でも理解できると思います。

当方が上げた達師の「須弥檀(しゅみだん)は蔵の形にする」の箇所については達師の昭和四十年の正本堂建設委員会においての発言中に「正本堂の中でも須弥檀は蔵の中に安置申し上げる形になると思うのでございます(大日蓮229-10)」との同様の先例があります、また「正本堂に就き宗務御当局に糾し訴う」のなかでも綿々とその文章箇所を註しておられますので、その発言が浅井との面談中のみ初出ではないことを確認した上で取り上げております。

さらに既に掲示しましたが「正本堂に就き宗務御当局に糾し訴う」に中に「蔵の中に安置申し上げる形」と懇ろの仰せを拝す」と浅井氏もかつてに述べられた事例を以ておおよそ、達師の範疇の言葉とした次第であります。

しかし、貴殿はこの文中で「細井日達のこの発言は、浅井先生に諫(いさ)められたから言えた“正論”です。」と言いますが、この発言の一ヶ月後に、達師は国立戒壇義について創価学会本部総会での御講演で斯く仰せであります。

◎第33回 創価学会本部総会での御講演において
「わが日蓮正宗においては、広宣流布の暁に完成する戒壇に対して、かつて「国立戒壇」という名称を使っていたこともありました。しかし、日蓮大聖人は世界の人々を救済するために「一閻浮提(えんぶだい)第一の本尊此の国に立つ可し」と仰せになっておられるのであって、決して大聖人の仏法を日本の国教にするなどと仰せられてはおりません。日本の国教でない仏法に「国立戒壇」などということはありえないし、そういう名称も不適当であったのであります。

明治時代には「国立戒壇」という名称が一般的には理解しやすかったので、そういう名称を使用したにすぎません。明治より前には、そういう名称はなかったのであります。今日では「国立戒壇」という名称は世間の疑惑を招くし、かえって、布教の邪魔にもなるため、今後、本宗ではそういう名称を使用しないことにいたします。(於:日大講堂)」

貴殿の言う通り「浅井先生に諫(いさ)められたから言えた“正論”」であれば、一ヶ月後のこの達師の発言はまさしく、宗内の定義混乱を整理し、名称に固持する浅井の迷妄を挫く意味合いのお言葉であります。
また正本堂建立委員会の発言も正式は「大御本尊のおわします堂が、そのまま戒壇(昭和四十年二月十六日)」→「正本堂建立が実質的に戒壇建立と同じ意義(大日蓮三月号)」と言葉が変えられていた。にもかかわらず公には大日蓮版の発言が取り上げられていました。

しかしながら、浅井一派はこの時点でも騒ぎもせず、寧ろ歓喜に燃えて「全講を挙げて歓喜の御供養をさせて頂こうではありませんか(昭和四十年五月二十五日:冨士二十三号)」と講中に参加を訴えていたではありませんか。こう書くと、ブリトー石橋氏はその一ヶ月の間に学会に心を動かされたと言うかも知れない。しかし、そんなことはないのであります。

一連の正本堂の解釈について浅井および一派は、昭和四十五年十月二十五日、妙信講二千有余名総登山で大講堂に於いて「講中の命運を賭しての御奉公、遂に九月十一日を以て決着」と発言しています。決着するとは終了と言うことです。何を今更蒸し返すのでしょうか?浅井氏は納得してここに決着宣言したのですね。
スポンサーサイト
line

comment

Secret

line
line
まとめ

line
最新記事
line
FC2ブログランキング
良くも悪くも、顕正会問題に付いて知ってもらうために、ご協力をお願いいたします。

FC2Blog Ranking

line
Translation(自動翻訳)
line
プロフィール

山門入り口

Author:山門入り口
日蓮正宗・顕正会・創価学会、等の宗教問題を考えています。

line
最新トラックバック
line
月別アーカイブ
line
最新コメント
line
カテゴリ
line
sub_line
検索フォーム
line
リンク
line
RSSリンクの表示
line
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

line
QRコード
QRコード
line
sub_line
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。