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ガツンと破す、を破す。それを破す19

ブリトー石橋氏反論:「7番目の、「管長猊下は一言も正本堂を御遺命の『事の戒壇』などとは云われずもっぱら戒壇の大御本尊を安置し奉る建物」という文章は、「試練と忍従の歴史」(53ページ)からの引用です。」

これは上記(六番目の反論)の部分と同じですね。割愛します。
後半一番目のブリトー石橋氏の反論:「正本堂に就き池田会長に糺し訴う」という諫暁書は、猊下の立場を守りつつ、誑惑の元凶である学会(池田)を諫めるのが目的ですから、浅井先生は、ここではあえて、第一回正本堂建設委員会の曖昧な説法を、「正本堂は事の戒壇」とか「御遺命達成」とか、そういう意味ではありませんと会通されたのです。」


ここまで来ると、ブリトー石橋氏の反論も無理が出ていますね。これは真正面から反論していません。恐らく達師の文言を使っているので浅井の論ではないと言いたいんだと思いますが、それを使って諫言している以上、同意していることは事実ですので、自論の正当を主張するために傍証として引いたわけですから、それは自論に等しいと見なされても仕方有りません。

ここでも曖昧という言葉が頻繁に出てくるので、貴殿の言う曖昧に当たる浅井の過去の発言を引いておきます。

◎「昭和四十年の御供養趣意書の当時は、まだ誑惑が顕著でなく、少なくとも管長猊下は一言も正本堂を御遺命の事の戒壇などとは言わず、もっぱら戒壇の大御本尊を安置し奉る建物であることだけを強調された故に御供養に参加したのだ(取意)」(冨士・昭和61年8月号53ページ)

◎昭和52年8月には逆に、「昭和四十年二月十六日、正本堂建設委員会において日達上人は、正本堂が御遺命の戒壇に当る旨の説法をされた」(富士・昭和52年8月号6ページ)


曖昧ですね、矛盾ですねぇ。発言は昭和五十二年では「正本堂が御遺命の戒壇に当る旨の説法をされた」と言っているのに、昭和六十一年は「猊下は一言も正本堂を御遺命の事の戒壇などとは言わず」と発言してますね。解散通告三年後の発言と十余年を経た発言が真逆というのも珍しいですね。これも浅井氏独特の(頭破作)八分論法、この裁定は閲覧者にお任せ致します。

貴殿はここでは「第一回正本堂建設委員会の曖昧な説法を、「正本堂は事の戒壇」とか「御遺命達成」とか、そういう意味ではありませんと会通されたのです。」と言ってますが、貴殿のセンセーはこれらの矛盾的発言をどういう意味で言われたのか、是非会長センセーに問いただされ、その報告を楽しみに致します。
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